今も"赤い靴の女の子"が見守る「麻布十番商店街」−都会の真ん中で新鮮さと懐かしさが同居する'微笑の街'−

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 2月12日(土)商店街研究会のメンバー21名は港区の「麻布十番商店街 パティオ十番」の広場にある「赤い靴の女の子"きみちゃん"の銅像」の前に集合した。周辺を散策後、商店街振興組合のある麻布十番会館の畳敷きの会議室で理事長の須永達雄様からお話を伺った。

 

1.地下鉄の開通と六本木再開発の影響

 この商店街は江戸時代、善福寺等の門前町、大名のお屋敷街として発展、交通の要所である古川の荷揚げ場や馬場も設けられ、「馬乗り袴」発祥の地でもあった。幕末には善福寺に米国公使館、周辺の寺院にも外国使節団の宿泊所が置かれた。現在も多くの大使館が周辺にある。明治以降、高台のお屋敷を後背地に発展、戦後は交通の経路から外れ「陸の孤島」と言われる。しかし平成12年の9月、12月と地下鉄南北線、大江戸線が相次いで開通し「麻布十番駅」が開設、平成15年には街の北側に六本木ヒルズがオープンした。広域からの吸引力が高まり、「近郊型」から一気に「広域型」に発展した。ある物販店の売上は、地下鉄開通以前100%、開通後は125%、ヒルズ開設後は130%に増加した。しかし、再開発で賃貸料が高騰、高齢化した店主の中には、事業を止め不動産賃貸に転業する人もいる。ワンルームマンションも増加し、ココンビニ、チェーン店も進出、290ある店舗の半数以上が入れ替る。40名の理事は選挙で選出され、街の一体化を保つ苦労も伺える。ヒルズのオーナー森ビルも加入する。

2.商店街活動の成功の鍵は・・・

 理事長のお話では、大切な事は「お客様を大事にする事」である。近隣の住民だけでなく、例えば周辺の寺院のお墓参りに来るお客様も「おなじみさん」として接する。老舗の煎餅や鯛焼き店の店員のやさしい応対を視ても頷ける。また、周辺住民の多くを巻き込んでイベントを盛り上げようと努力している。4月の「花祭り」には日本の子供だけでなく、大使館職員等の子供達も「お稚児」として行列に加わる。3分の1は外国人のお稚児だ。国籍や宗教の違いはない。夏の「納涼祭り」には、多くの大使館が夜店を出店する。いずれも商店街のメンバーが周辺住民や寺院、大使館に呼びかけて実現した。「麻布十番寄席」が若手芸人と商店街の協力で定例で開かれる。宣伝は、今は懐かしいチンドン屋。太鼓とサクスホンの「いつでも夢を」の演奏が商店街を練り歩く。新鮮さと懐しさが同居する。イベントは商店街の独自財源で運営されている。

3."きみちゃん"が見守る商店街

 赤い靴の女の子"きみちゃん"はこの付近の孤児院でひっそりと9年の生涯を閉じた。六本木ヒルズの裏手に桜坂公園という児童公園がある。日本人や外国の子供達が一緒になって滑り台を滑っている。公園に敷かれた桜のチップがやさしく受け止める。"Careful Judy!"父親がいたわる声をかけている。今も"きみちゃん"がこの公園で遊んでいるように思えてならない。

報告者: 高坂一郎