川越一番街商店街  ―「川越蔵の会」代表理事に聞く―

 1.炎天下の行軍

 商店街研究会のメンバー19名が西武線川越市駅に集合したのは8月22日(土)午後2時半のことであった。その日はよく晴れた真夏日で、炎天下約2kmを行軍し、川越一番街商店街に赴いた。「川越蔵の会」の活動説明会はその代表理事 原氏経営の陶器店裏手にあるお蔵にて行われた。そのお蔵は現在陶芸教室として使用されている。

2.耐火性ある蔵造り

 今春始まったNHKの朝の連続ドラマ「つばさ」の舞台は川越である。そのお陰もあり、蔵の町川越には全国各地から電車やバスでたくさん人々がやって来ている。
  今日の川越蔵の町の歴史は1893年(明治26年)の川越大火に始まる。町の全戸数の3分の1以上を焼失したが、焼け残ったのが蔵であった。そこで、耐火性ある蔵がいくつも建築され、明治末期には見事な蔵造りの町並が出来上がった。

3.一時衰退した川越一番街

 今では川越の大きな魅力の一つである蔵造りの店舗も1960〜70年代には暗くて使いづらいということで、邪魔者扱いされ、壊されるものも出て来た。60年代半ばには丸広百貨店や銀行も川越一番街商店街から川越駅前方面に移転していったことにより、川越一番街商店街は人通りの少ない商店街になってしまった。

蔵造りに風向きが変わる

 1792年(寛政4年)に建てられた「大沢家住宅」が1971年に国の重要文化財の指定を受け、さらに売買の話が出た旧小山家を住民の要望により、川越市に買い上げて貰い、現在は「蔵造り資料館」として活用されている。1974年に日本建築学会関東支部が川越をテーマとしたコンペティションを開催し、建築家や研究者など、町の外部の人々から様々なアイデアが発表された。 
  1975年には文化財保護法の改正を受け、重要伝統的建造物郡保存地区の制度も始まったが、指定による規制を不安視する住民もあり、保存地区指定は見送られた。
  1970代後半には川越一番街商店街周辺にも高層マンションが建設されるようになった。大学の先生などから川越の蔵を保存すべきだとの提言がなされてきたが、住民運動はあまり盛り上がらなかった。そこで、商店街と周辺の若手数名が立ち上がり、自分たちで町づくりをしようと1983年「川越蔵の会」(現NPO法人)を発足した。

5.川越蔵の会の活動

 現在川越蔵の会のメンバーは約200名、内50名が県外の人々で、70軒ある一番街商店街の会員は15名程度である。メンバーには大学研究者、建築家、デザイナーなど専門家が多い。
川越蔵の会の活動は多岐に亘るが、川越一番街商店街の下部組織である「町並み委員会」に参加し、「町づくり規範」の策定に協力したことが大きい。その後、地域住民との勉強会を通じ、川越一番街商店街を中心とする地域が1999年、遂に重要伝統的建造物群保存地区として指定された。その後も眠れる宝を掘り起こし、新しい命を与え続けている川越蔵の会である。

報告者: 松田 武