小売業と流通政策史

 商店街研究会8月例会では、国の数々の流通政策にかかわってきた日本の商学者・マーケティング理論家で大阪市立大学名誉教授の石原武政先生をお招きして、小売業と流通政策史のテーマで、ご講演を開催した。今回の例会は、石原先生が(社)日本販売士協会の顧問でもあることから、共催となった。

1.流通政策のひろがり

(1)流通活動と流通政策

 ・経済産業省(旧通商産業省)は本来、経済を重視する自由な経済活動を支持する傾向にある。

・流通が「産業化以前」の段階では、特に流通インフラの整備を中心で、政策の出番は多かった。 例として流通業務市街地の整備に関する法律(1966年)、流通情報化の推進(1970年代後半〜80年代前半)、特に、バーコードの導入は行政の強力な指導によるものであった。

・産業化の初期段階では業界団体を育成・指導した。 例として、業界団体結成の呼びかけ、業界からの意見聴取等を行った。

・近年ではこの点からの出番は少なくなったが、全くないわけではない。 例としては、流通BMSの普及に向けた製配販への働きかけが行われた。

(2)ビジョン行政

 初期には、流通近代化、流通システム化をはじめ、流通の大きな方向をビジョンとして提示し、それに沿って誘導するという政策がとられていた。初期のビジョンの策定は、企業局、ないしは産業局(商政課)が担当していた。主な年代別のビジョンは次の通りになる。『流通近代化の課題と展望』(1968年)、『70年代における流通』(1971年)、『流通システム化基本方針』(1971年)、『80年代流通産業ビジョン』(1984年)、『90年代の流通ビジョン』(1989年)、『21世紀に向けた流通ビジョン』(1995年)、これ以降、本格的なビジョンは策定されていない。理由は、大手流通業の躍進などにより業界の推進力向上と方向の多様化により、ビジョン策定が困難になった。但し、物流、卸など、個別のテーマについては策定されていたが、最近はこれも減少している。

(3)見えにくくなった流通政策

・経済産業省の流通政策は、本省 商務流通保安グループ 流通政策課と中小企業庁 経営支援部 商業課で2元的に行われてきた。

・流通政策課←流通産業課←大規模小売店舗審議官の流れで、流通政策は作られてきた。元々は大店法時代の「紛争」解決のために設置されたポストで、90年代終わりに産業課になり、2005年に政策課になり、所管する法律は大規模小売店舗立地法、所管する審議会は産業構造審議会流通部会になる。 2004年〜2007年、まちづくり三法の見直し(中政審商業部会と合同)、その他、随時臨時に部会、小委員会など開催した。2009年、商取引の支払に関する小委員会の設置、直近では2012年、東日本大震災を受けて(4月〜9月)『産業構造審議会流通部会報告書 −新たなライフラインとして生活と 文化を支え、地域に根付き、海外に伸びる流通業− 』(9月)を策定、2013年、中心市街地活性化部会では、中活室所管で中活法見直しが行われた。

(4)中小企業政策としての流通政策

・中小企業政策は国の経済政策の重要な柱として、格差是正、経済活力の源泉、大企業の補完などの位置づけが行われた。

・中小企業政策としての流通政策は、中小企業庁商業課(旧取引流通課+旧小売商業課)が担う。  所管法律は、商店街振興組合法(1962年)、中小小売商業振興法(1973年)、地域商店街活性化法(2009年)で、所管審議会は中小企業政策審議会商業部会(旧流通小委員会)になる。流通全体にかかわる問題は、産構審流通部会との合同会議で審議された。地活法のための部会(2008〜2009年)以降、単独開催は行われず、『「地域コミュニティの担い手」としての商店街を目指して 〜様々な連携によるソフト機能の強化と人づくり〜 』(2009年1月)を策定、各種補助金審査、商業活性化等の支援が行われた。本省と中企庁の連携が課題となった。

2.流通政策の枠組み

(1)流通政策に関する伝統的な理解

@競争環境の整備、A振興政策:競争上ハンディを背負う中小事業者の競争力強化のための諸方策 B調整政策:競争的弱者の適応時間確保のために大規模事業者の活動を制限のこの図式が、田島義博(1982)以来、通説的理解となってきた。しかし、2000年に大店法が廃止され、調整政策は実質的に姿を消した。はたしてそれ以降の流通政策は片肺飛行なのか?

(2)流通政策の体系の確立(1973年)

 中小小売商業振興法は、高度化事業、補助金、融資、斡旋、減価償却、研修、指導・助言、診断を担い、大規模小売店舗法は、中小小売商の事業活動の機会の確保、消費者利益の配慮、流通近代化を目的とし、企業主義から店舗主義へ、地元民主主義と変わり、これにより、振興政策と調整政策という枠組みの理解が固まる。

(3)1960年代終〜70年代初の流通政策課題

@高度成長に伴う物価高騰への対応として、物価上昇の解毒剤としてのスーパーへの期待を表す。 A大量生産に対応する流通機構の整備としてスーパーへの販売力に対する期待を表す。B中小小売商の反対運動は、圧倒的多数を誇る中小小売商の政治力が背景となった。Cスーパーとの平等を求める百貨店は、総量規制の擬似百貨店問題の解消を求めた。D資本自由化に伴う外資の規制では、アメリカから日本企業と同一基準が求められた。E台頭する「消費者の権利」への配慮は、消費者運動の盛り上がりなどの背景から、第2次百貨店法の限界、新たな流通政策体系の必要性と大店法廃止は政策体系の新たな理解を求めている。

(4)流通政策の枠組み:新しい見方

 タテの流通システムの効率化は、初期こそ政策的誘導が強く働いたが、むしろ業界における自主的な取り組みの中で進められる。そのため、政策としては、この側面の比重が軽くなったことは否めない。@生産と消費を結ぶ流通システム全体の効率化(振興政策)、A主として小売業が営まれる空間の設計。都市、コミュニティ等との接点(振興政策と調整政策)B両者の接点に位置づけられる「経営の近代化」に焦点があてられた。

(5)流通を見る視線

 時間の流れから見ると、民間の流通効率化推進力の拡大、流通効率化推進政策の縮小、流通が機能する場への関心への拡大から、・地域はすべての要素を総合する場。・流通が流通だけで独立できず、生活のすべての局面と関連し合う。・効率化を求める民間の力を、健全な地域の形成と結びつけるための課題の提示と大きな方向付けがこれからの流通及び 流通政策の課題となる。

(6)規範と規制

秩序は内的規範によって維持される。規範は秩序をもたらす反面、「拘束」を伴う。規範が希薄化するとき、外的規制が導入される。規制は拘束であるが、次第に規範化して秩序を形成する。規制が規範化したとき、規制の意味は失われる。規制は規範に対する期待であり、方向づけである。規範の中に「外部性」「対外的視線」を導入したい。この議論については『小売業の外部性とまちづくり』(有斐閣、2006)を参照してください。

3.私がかかわった時代

(1)流通政策とのかかわり(1)

・1988年 中小企業政策審議会商業部会臨時委員として、産構審流通小委員会との合同会議による「90年代流通ビジョン」の策定にかかわる(小売商業課長:松島茂)。内容は、日米構造問題協議を前に、大店法の運用適正化を「自主的」に議論・決定になる。・同時に立ち上がった「研究会」公文俊平が座長のはずが違った。・その後、臨時委員、専門委員をほぼ「切れ目」なく、担当継続した。

(2)合同会議の平均的模様

参加人数は20名程度、時間は、ほぼきっちり2時間で、ゲストスピーカー(3名程度)の話と議論が行われ、事務局が原案を説明(1時間弱)後、議論が行われ、ほぼ1人2〜3分の発言を1回が相場。複数回発言できるのは、本会議ではまれで、最後の数分で、事務局が議論の要点整理し、これを繰り返しながら、最終回に向けてゆく。発言に制約はないが、議論はうまく作られてゆく感じ。最終的には、各委員の発言を取り込んだ形で収める。はじめから落としどこが決まったいれば良いが、そうでなければ、事務局はこの議論の中で、「落としどころ」を探っていくことになる。

(3)流通政策とのかかわり(2)

・1997年5月、中小企業政策審議会委員(商業部会長)として「合同会議」に参画し、大店法の廃止を答申。・まちづくり三法、特に大規模小売店舗立地法の指針策定の議論。・5年後の見直し、立地法の指針改定(2004から2005年)と中活法の改正(2005年)。・2009年1月まで。70歳または連続10年の規程があったが退任になった。・最後は地域商店街活性化法に向けての研究会と審議会。「商店街は地域コミュニティの担い手」を答申。その後「一身上の都合」により辞表提出した。 ・商店街支援センター(2009年)の諮問委員会委員長になる。

(4)その後のかかわり

・中心市街地活性化には当初からかかわる。・委員は適時に代わったが、委員長(石原)と委員の加藤博は代わらず。事務局は中小機構→三菱総研→野村総研に2017年まで移動した。・2013年1月、中心市街地活性化法の見直しの議論に参加。就任時に70歳未満未満であった。・後は、各種の商業課所管の補助金の審査にかかわる。特に、東日本大震災の震災復興支援事業は今も継続する。

(5)『通商産業政策史』「流通政策」を担当

・2006年から2011年までの5年間担当。・ここでは「古い」体系の下に整理したのが心残りである。 ・流通政策と消費者行政のはずが、サービス産業、商品取引所、博覧会まで抱え込んで担当した。 ・多くの人に面会して、当時の話を聞いた。その折の最後の質問として「政策を決定するのは誰ですか?」A:大臣(あるいは広く国会議員)B:審議会委員 C:官僚 D:その他(マスコミ、社会運動等)か。・2000年までの流通政策については、『通商産業政策史 4 商務流通政策』をご覧ください。

4.流通政策のゆくえ

(1)流通政策はどこへ行く

・流通政策課の所管する政策は見えていない。・地域流通政策は流通政策の重要な柱の1つであった。 ・地域流通の最も重要な担い手として期待されたのは商店街であった。・商店街支援に力を入れてきたが、商店街の衰退化には歯止めがかからない。特に地方都市では悲惨な状況にあるところも多い。 ・商店街といえば、長らく物販店中心に考えられてきたが、近年では飲食店、サービス業店の進出が目立っている。・「商店街」という名称を、「生活街」に変更すべきだという意見も有力になりつつある。・名称はともかく、商店街は地域の人びとの生活全般に向き合わなければ生き残れない。(例)ハツキタ商店街(札幌市)。

(2)商店街支援センターの終焉

・地活法の担い手、支援センターが今年度をもって事業を終了する。 ・はたしてこれに代わる地域流通、あるいは生活者支援の枠組みが、経済産業省の枠組みの中で生まれるのか? ・もしNoなら、「商業課はどこへ行く」にもなりかねない。飲食業はともかく、サービス業を商業課が仕切れるのか。 ・これからの数年間は流通政策のゆくえにとって、極めて重要な時期になるだろう。 ・私自身は、極めてラッキーな時期にお手伝いさせてもらえたと思っている。